ブログやサイトで記事を書き続ける意味について考えてみた



天宮です。


私は、ブログやサイトで
結構な数の記事を書いてきました。

せどりブログのアメブロだけ見ても
1000記事以上を投稿しています。


文章を書くことが好きなのか?

”文章を書くことが好きなのか?”
と問われたら

『No!』と答えますし、

文章を書くのが得意と思われがちだけど、
むしろ逆で得意とはほど遠く

子供の頃から作文となるとアタマを抱え

手が固まってるのかと思うほど、
ペンが走らない走らない(苦笑)


今でも自分が考えていることの半分位しか
文章で表現できていませんね…



私が学生のころは
みんな携帯電話持ってなかったから、

メールやLINEで文章を打つということも
なかったわけです。


しゃべればサクッと伝わることも
いざ文章としてその内容を伝えるとなると

あれ、こんなにムズカシイの…

そう感じたのは大人になってからの話。



スマホでメッセージのやり取りになれてる
今の子供たちは文章書くのが得意なのか?

といえば、けっしてそうとも言えない

文字を打ち込むのは得意かも知れないが
それは文章を書くのが得意とイコールではない


SNSで多用される絵文字やスタンプは
簡単に感情を表現しやすい反面

感情を文章であらわすという行為をしない
ということでもあります。



文字入力と文章を書くことの違い


LINEやTwitterなどSNSなら書けるのに
ブログを書こうと思うと手が止まる…

コレってあるあるかも知れませんね(笑)


思ったことを短文でつぶやくのと違い、
文章の構成を考えて書くことは
意外とハードルが高いですから。

世間がよりラクな方へ流れ、
SNSが普及するのも利にかなっています。



そんな中で、あえて文章を書くことに
こだわって行きたいのには訳があり、

インターネットを使い活動していく!

そう考えたときに、絶対にはずせないのが
文章を書くという行為でした。


膨大な情報があふれているネットの世界で
自分のことを認知してもらうには、

まずは、
検索エンジンに知られる必要があります。

検索ヒットさせる時点で文章が必須

検索表示させたとしてアクセスしてくれた
読者さんに何かを伝えるのも文章


こりゃ、どう考えても
文章を書けないと話にならんわ、
そう思いましたよ。


動画を使うって方法もあるけど、
自分には向いていないと秒速で判断(笑)



書くのがヘタなら努力してみるか…


だから、得意でも好きでもないのに
ブログやサイトで文章を書き続けています


自分の思いをサラッと文章にできる
才能があればこんな苦労はしないですむが

才能が無いぶん継続する努力で補う、
という感じで書き続けてきました。


努力の成果が文章にあらわれないのには
本人も困惑してるけどな(笑)

ま、成果がすべてじゃないからね。

努力することに意味がある。

ただし、努力の方向は間違えないように。




知識を蓄えるというより、その過程が重要


学歴社会というのは、いっけん
成果(結果)で判断しているように
思われがちだが、

その裏には、○○大学に入学(卒業)
するだけの勉強を続けてきた努力

知識の量を求めているわけではなく、
努力できる人間かどうか、
みたいなモノを判定されているのだと思う


子どもなら誰しも、

この勉強しても社会に出て使うことはない

なぜ面白くもない勉強しなきゃいけないの

そう考えるはずです。


もちろん私もそう思っていましたし、
それについて明確な答えをくれる先生や
オトナはいませんでした。


いま思えば、

将来必要になるから
公式や年号を憶えているのではなく、

キミがどれだけの努力をできる人間か
どうか判断するために勉強や試験がある。

ハッキリそう言ってくれたら
良かったのにな。


テストで良い点数を取るため、
○○学校に入学するため、

こういう理由では全くヤル気が出なかった
人間がココにいますよ(笑)



学びのない人生ほどツマラナイものはない


人生でもっともハイリターンを望めるのは
学びであり、努力である。

結果を自分の努力で変えられるのだから、
どのギャンブルよりも勝率が高いはず。

運任せのギャンブルにお金使うより
本の一冊でも買って読む方がタメになる。


ブログを10個読むよりも、自分でブログを
書くことから学ぶモノの方が大きいぞ(笑)