残念な人生を歩む人たちの共通点とは




天宮です。



週末はボランティアで草刈りしたり
除草剤を散布したり住宅の修理してあげたり。


誰かに頼まれてやってる訳じゃなく
気が向いたときに自主的にやってます。



田舎は高齢者だけの家も多いし、
お子さんが外に出て実家が空き家に
なってることも多いんですよね。


いわゆる親が亡くなったため引き継いだが
自分は数十年前にその地を離れていて戻る予定もない。


家を解体するにもお金が掛かる、
更地にすると税金が上がる、
こんな感じで放置される空き家が増加します。



久しぶりに戻ってこられた
空き家の家主の御婦人と話をしていたら
アチコチ傷みが出ているということで
少し補修をしてあげたり。



また、別のところでは
いつもキレイに草刈りしてあるはずが雑草だらけ…

足を悪くして草刈りができない
みたいだったので代わりに草刈り。



翌日は耕作放棄地となっている土地に
除草剤を散布しに行き、

コレが思いのほか広くて
1日中機械を背負って作業してたら
腕が上がらなくなりました…



肩こりというより肩が痛い、
イスに座ってキーボードまで
手を上げるのがやっと。



もしかして、コレって四十肩ってやつか?

なんて考えたけど、

床に横になった状態ならアタマの上まで
動かせるから違うのか?よく分からん。


1日ゆっくりしてたら動くようになったから
ヒドイ筋肉痛だったのかと思います。



タダ働きで自分の体を壊していたのでは
シャレになりませんね。

自分が思っている以上に体力は低下してる
ということを認識しないとイカン(苦笑)






誰かに何か手助けするときは、
ありがとうの言葉を求めて行動しない。

私はコレを基本と考えていますが、
これって普通の生活のなかでも
同じことが言えて、

夫婦・親子・友人であっても

ありがとうぐらい言うのが当たり前
と思って行動するから感謝の言葉が無いと
イラッ!とします。


ありがとうと言わなくても良い
ということでは無いですよ、

何かしてもらったらありがとうと言うのが
当然だけど、手を差し伸べる側が
それを期待して行動するのはオススメしないということです。



ありがとうと言われることは
その人の存在価値のひとつであり、


最近誰かにありがとうと言われたかな?
と思い返してみて、

誰にも感謝の言葉をもらってないなら
その人は残念な人生を歩んでいると思います。



意外とそういう人多いけど、
本人はそんなことに気づきもしないほど
鈍感だったりしますね(苦笑)



自然と、ありがとうの言葉が言えて
誰かにありがとうと感謝される存在でありたいものです。





情報発信においても、
いつまでもクレクレ君でいるより、

自分から発信できるようになった方が
存在価値が高まりますよね。


見返りを求めて情報発信していると
長続きしないケースが多いけど(笑)



数千名のせどらーさんが情報発信を始めて
あなたの周りで継続できている人は
どれくらいいますか?


えっ、消えていった人の方が多い?


情報発信のコンサルまで受けたのに?


現実はそんなもんですよ(笑)



だから、いつまでたっても
情報発信は飽和しないんです。



自分だけの世界観を作れたら
そこは常にブルーオーシャン


誰かに感謝される価値を生み出して
楽しくやっていきましょう。